2007年10月20日
チャイコフスキーの名字
ピョートルって言うんだって。めっちゃかわええ。
(Пётр Ильич Чайковский(露)/Peter Ilyich Tchaikovsky(英) 1840年5月7日(ユリウス暦では4月25日) - 1893年11月6日(ユリウス暦10月25日))はロシアの作曲家。バレエ音楽や6つの交響曲などで有名。ボロディン、バラキレフ、ムソルグスキー、キュイ、リムスキー=コルサコフのロシア5人組らと共に国民楽派と呼ばれる。
概略
叙情的で流麗、メランコリックな旋律、絢爛豪華なオーケストレーションでたいへん人気がある。クラシック入門などの企画では必ずチャイコフスキーの曲が挙げられると言っても良いほどである。作風はリズムの天才と言われ、一つのフレーズを発展の連結にしたり、半音階上昇させたり、または下降させたりと他の作曲家には見られないものがある。曲想はメルヘンチックであり、ロマン濃厚といわれる表情が見えたりする。
チャイコフスキーの繊細な心はあらゆる弱いものに向けられた。孤児や可愛そうな動植物、また同性愛者に理解を寄せて共に時間を過ごす事もあった。しかし、その弱いものへの深い愛情と共感について日記や手紙において熱烈な表現を使ったために、様々な憶測を呼んだ。その手紙により彼が最後に愛したに違いないと憶測された男性は、聾唖 (ろうあ) の障害がある少年であった。
チャイコフスキーの死因について
急死の原因は主にコレラによるとする説(発病の原因として、会食時に周りが止めるのを聞かずに生水を飲んだことが理由とされるが、どこで飲んだのかははっきりしていない)が死の直後からの定説である。なお直接的な死因は、死の前夜10時頃に肺水腫を併発したことであることが分かっている(出典:伊藤恵子著『チャイコフスキー』2005年刊)。
1978年にソ連の音楽学者アレクサンドラ・オルロヴァが発表した説によると、チャイコフスキーは貴族の甥と男色関係を結び、貴族の訴えによって秘密法廷なるものが開かれ、そこで砒素服毒による自殺が決定・強要されたという(チャイコフスキーの死の直後にもこのような説を唱える者がいた)。しかしこの説は、研究家であるアレクサンドル・ポズナンスキーの1988年の論文を皮切りに、チャイコフスキーを診た医者のカルテなど、残されている資料を調査した結果、やはりコレラ及びその余病である尿毒症、肺気腫による心臓衰弱が死因であるという反論が出され(例えばオルロヴァは安置されたチャイコフスキーの遺体にキスをした者がいたという証言を持ち出して「消毒をしなければコレラ患者の遺体にありえないことだ」と主張したが、チャイコフスキーの遺体は安置される前に消毒されていた記録が残っている)、現在ではやはりコレラによる病死だったという説が定説である。また発病当日にはオデッサ歌劇場の指揮を引き受ける手紙も書いている。
ポズナンスキーは緻密な検証を行った末、結局陰謀死説なるものが「二十一世紀の今となっては、歴史のエピソードに過ぎない」ことであり「まったく根拠のない作り話」であると結論付けている。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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